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随想録

サークラのアドベントカレンダーに参加した

サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダーに参加して、このような記事を書きました。

circlecrash.hatenablog.com


ところで、同じアドベントカレンダーの9日目の記事を読んでいたら、言語争奪という概念が出てきて面白かったので、紹介します。

非モテ」に限らず、多くの「自らをネガティブにとらえる言葉」、例えば「非リア」であるとか「うつ」、「ニート」、「KKO(キモくて金のないオッサン)」などは最初の意味に比べて、徐々に人口に膾炙していくにつれ、意味が拡大していくきらいがあります(私はこれを言語争奪 word captureと呼んでいます)。

「読むと絶対モテる記事」と拗らせ概論、さえも - サークルクラッシュ同好会ブログ

 

つまり、こういうことです。「非リア / リア充」という言葉ははじめ、「友達のいない我々(内集団)」と「大学生活を楽しんでるあいつら(外集団)」の間に線を引く役割をもっていたはずです。この線を引くことにより、同じスレの中にいる人たちはある種の連帯感(デュルケームに言わせれば共通の絆でしょうか)が生まれますし、彼らはアイデンティティを得ることができます(ここでいうアイデンティティとは「自分はこういうものだ」という定義付けとでも思ってください、そしてそういうものの存在は多くの場合、精神の安寧をもたらします)。

「読むと絶対モテる記事」と拗らせ概論、さえも - サークルクラッシュ同好会ブログ

 

(※以下、『呪詛・物語・社会』を前提として話を続けます。)
ここで例として挙げられている『非リア / リア充非モテ、うつ、ニート、KKO、その他「自らをネガティブにとらえる言葉」』はどれも、物語るという行為において、とても便利に使える語彙だと思います。「同じスレの中にいる人たちはある種の連帯感(デュルケームに言わせれば共通の絆でしょうか)が生まれます」というのは、同じスレの人たちで一つの物語を共有している状態とも言えます。


アドベントカレンダーの記事で私は、物語を書く者が強者であるということ、物語は物語中のオブジェクトに意味を提供するということを主張しました。それらはつまり、意味を上書きする者が強者であるということを意味します。なので、言葉の意味を上書きする行為は、典型的な強者の行為だと思うのです。「最初の意味に比べて、徐々に人口に膾炙していくにつれ、意味が拡大していくきらいがあります」とありますが、このような意味の拡大は、みんなが強者になろうとして、あちこちで同時多発的に言葉の意味を(自分たちに都合の良いように)上書きすることで、起こるのではないでしょうか。

 

言葉の意味が上書きされる仕組みについては、また物語概念と関連付けて、そのうち記事を書こうと思います。(そのうちがいつなのかについては諸説あります……。)
概要だけを書くと、言葉の意味の上書きは、その言葉の便利な使い方がキャラクターに示され、一定の同意を得たとき、その後から新しく意味がついてくるという形で起こります。このような仕組みは、言葉に限ったことではなく、物語中のあらゆるオブジェクトの意味は、オブジェクトの使われ方によって規定されています。使い方は意味に先立つのです。

20170924 無題

ここのところ破滅の手触りが確かなものになってきた気がする。根拠はない。夏が終わったせいでそう感じるのかもしれない。
ところで破滅の手触りってなんだろう。思いのほかフワフワだったりするのだろうか。柔らかく破滅していきたいとは思う。柔らかい破滅とは?
 
雪が溶けても桜が散っても夏が終わっても自分だけは残る。それがとても嫌だなと思う。秋が終わると次は鬱の季節だ。沖縄あたりに移住すれば少しはましになるのだろうか。
 
憂鬱になるのは簡単で、幸福を感じるのは難しい。ままならないなと思う。やっていく。丁寧に。

20170710 無題

感染性胃腸炎になり、先週から学校を休んでいる。夏の感染症は不快だ。暑さで汗をダラダラ流すくせに、冷房には震えてあげくに腹を壊す。
 
 
何もできない。溜まりまくった課題やマイナビからのメール、どこかに行きたくなるような夏風も全て無視して、一日中ゴロゴロしている他ない。
断続的に腹痛に襲われる。感情が乱高下する。精神を壊して入院していた頃の夢を見た。部屋が際限なく散らかっていく。
 
 
窓の向こうで大雨が降っている。それは自分のいる部屋の中には何の影響ももたらさない。家財を慌ててビニール袋で包む必要はないし、傘をさす必要もない。ここは安全で、すこし寂しい。
 
 
横になってインターネットをするが、すぐに飽きてくる。かわりに世界の仕組みについて考えることにした。でも特に面白いことが浮かばない。やっぱりこういうのは普段の習慣がものを言うんだろう。最近世界の仕組みについて考えた時間があっただろうか?一切ない。
 
自分が思いのほか社会の側の人間になってしまったことに思い至り、よく分からない感情になる。心がざわつく感じのやつ。
こういう、簡単に言葉にできない、喜怒哀楽にも当てはまらない歪な感情を拾い上げて、大きく育てていくことの大切さを自覚するようになった。自分だけの怪物を心に飼うこと。それは癒やしであり、祈りであり、規格化されていくことに対するささやかな抵抗だ。
 
いつの日か、おれの巨大不明感情が首都に襲来し、東京スカイツリーをなぎ倒す。そんな夢を見る。

20170316 無題

起床成功。夢は忘れた。
 
朝ごはんを食べている途中でメロディが浮かぶ。ポップでキャッチャーなやつ。午前中はメロディに付けるコードを考えて過ごす。TSUTAYAに行って借りていたDVDを返した。お昼を食べて学校へ。CG室にこもってパソコンカチャカチャを4時間。良い進捗。
 
いつもより少し早く帰宅した。お風呂に入って、ご飯を食べて、けものフレンズ10話を視聴。サーバルちゃんの「ビーバたちみたいに一緒に暮らさない?楽しそう!」から、かばんちゃんの「私、海の外に行って人間を探したい」への流れが良かった。変化していく二人の関係性…

20170315 無題

起床成功。9時頃起きる。夢は忘れた。
 
TUTAYAで借りてきたファンタスティック・プラネットを視聴。映像も音楽も素晴らしかった。2兆点。そのうち真面目に感想を書こうと思う。そのうちがいつなのかについては諸説あり……
 
お昼を食べて河川敷の菜の花畑へ。自転車で堤防の上を走る。バスや電車は身体が箱に入って移動する感覚だけど、自転車は身体の拡張だ。頬に当たる風が気持ちいい。
 
菜の花畑は震災の復旧工事で消滅していた。

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これは去年。色々なものがなくなっていくなぁ。

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20170313 無題

起床失敗。
朝ごはんのパンを食べて、そのままお昼ごはんのラーメンを食べる。コーヒーを切らしてしまった。仕方がないのでお茶を温めて、チョコレートをボリボリ齧る。カフェイン不足に花粉症の薬の副作用もあいまって、いつもにも増して頭がぼんやりする。眠い。
お昼に学校へ行く約束をして、お昼を完全に過ぎた時間に家を出た。ダメだなぁ...
 
11月の時雨みたいな冷たい雨。冬の始まりと冬の終わりはあまり区別がつかないなと思う。
 
学校での作業はほぼ進捗なし。作曲も今日は進まず。散らかった部屋でボーっとしている。停滞と焦燥。ていねいにやれば大丈夫だよ と頭の中で唱えてみる。深井一さんのこの言葉には何回も救われた。ていねいにやれば大丈夫。こんな日もある。暖かくしておやすみ。
 
 
深井一さん

20170312 無題

遅くに起床。夢は忘れた。
 
朝ごはんを食べて曲を書く。昨日の続き。お昼を食べてまた作曲。日記を書いていて気づいたけど、やっていることが昨日と全く同じだ。
河川敷の菜の花畑を見に行こうかと思ったけど、身体が動いてくれなかった。作曲に限らず何でもだが、一度過集中に入ると自分の意志で机から離れることが困難になる。結局今日は外に出なかった。明日は菜の花畑を見に行けたらいいな。
夕方から夜にかけて曲の展開が思い浮かばず行き詰まる。このへんも昨日と同じだ。曲も日常も繰り返し。展開したい。抜け出したい。ここじゃないどこかへ。
 
人間の生活というのは本来的に支離滅裂なものだと思う。日記を書くという行為は、支離滅裂な生活を物語という明確な秩序を通して見ることで、生活の中にある自分の存在とか軌跡を確認するような作業だと思う。厳密には、自己の存在や軌跡を”確認する”という言い方はおかしくて、それらは物語によって初めて与えられる性質のものだと言うのが正しいのだろうけど。
ぼくはこれまで物語というものがほとんど見えていなかった。人間の認識はナラティブベーストだという考えが頭のなかでまとまりだしたのは去年の秋頃だったと思う。
 

 

 

 

 

お互いをお互いの物語の中の登場人物〈キャラクター〉として認め合うことが、コミュニケーションの基礎なのだと思うようになった。伝えたり聞いたりすることがもっと上手になりたい。人間関係のハッキング。強者になりたい。