くらげ重工業

随想録

20190520 色の認識の基底について

 デザイナーという職業柄、人間の視覚情報処理についてよく考えるので、今日はそのうちの一つについて話をする。
 
 イエローベース、ブルーベースという色の分類がある。ものすごく簡単に言うと、色を、黄みがかって見える色と、青みがかって見える色に二分する分類方法だ。色光や配色の問題でそう見えるという話ではなく、そういった要素を排除した単色のみで起こる知覚である。画像を貼りたいが用意するのが面倒なので検索してみてほしい。
この分類の不思議な点は、例えば、ブルーベースの黄とイエローベースの赤について見ると、色相環上の知覚的等歩度で測るとイエローベースの赤のほうが青に近いにもかかわらず、実際の知覚上ではイエローベースの赤に青成分を感じることは困難であり、むしろブルーベースの黄の方が青成分を感じやすいことである。他にもこのような性質を持つ色の組を考えることができて、例えばブルーベースの黄とイエローベースの緑などが挙げられる。また、分類法として名前がついているわけではないが、レッドーベースとグリーンベースという括りで捉えても同様の現象が起こる。グリーンベースブルーベースブルーベースやレッドベースの括りではこの現象は起こらない。
 このような現象は、人間の認識には恒常性のある基底を作り出す機構が備わっていて、知覚される要素は、この常に基底となる複数の要素と、それら基底の合成によって表現される要素があると考えることで説明がつく。(※もちろんこれが全てではなく、あくまでそういう一側面があるのだと考えるべきだが。)上記の例だと、青、黄、緑、赤の四色が色相の知覚において常に基底となる要素なので、知覚的等歩度とは関係なく、イエローベースの赤やイエローベースの緑に、他の要素である青さを感じることが困難になるというわけだ。もっと簡単な言葉で説明すると、青、黄、緑、赤などは、”ただその色である”という印象が強すぎて、それらが他の色の混色であるという認識が阻害されるし、他の色はそれらを足し合わせたものとして知覚されるという話である。面白いことにこういった印象、認識は実際言語にかなり反映されており、例えば、黄緑や青緑や赤黄、黄土色、赤茶色、赤銅色、青紫などの語彙はあるが、青、黄、緑、赤を他の色で表現するような語彙はない。
 
 ここまで考えると、そもそもなぜグリーンベースブルーベースブルーベースやレッドベースという括りでこの現象が起こらず、ブルーベースやイエローベース、レッドーベースやグリーンベースという組での括りでこの現象が生じるのかという疑問も生じてくる。これは、視覚の生理学的なメカニズムに答えを求めることができるようだ。赤、青、緑が色光の三原色であるという話は一般に普及しているが、これは錐体細胞での処理という最も基礎的なレベルでの話である。次の網膜中の水平細胞と外側膝状体での処理では黄が作られ、さらに、赤、緑の成分と、青、黄の成分は、それぞれ排他的に処理されている。このような視覚情報処理を反対色過程と言い、この過程で排他的に処理される色同士は、遠いもの、すなわち反対色として知覚される。この反対色過程で排他的に処理されていない組は、知覚的等歩度上で反対色より近くなるため、最初に書いたような現象が起こらないと説明できる。結局は心理四原色の話に回帰してくるわけだ。またブルーベースやイエローベースの方が、レッドーベースやグリーンベースよりも知覚されやすいのは、おそらくこれが自然光(太陽光)と影(または陰)を識別する能力に支持されているからだと考えられる。