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随想録

POSTPOPS宣言2018 by Caritasa

Post pops 宣言 2018

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序文 音楽の復活

 

『芸術の目的は「再認」することではなく「直視」することとして、事物を感じ取らせることにある。そして、芸術の手法とは、事物を「異化」する手法であり、「知覚」をより困難にし、より長引かせるために「難渋化された形式」の手法なのである。』(シクロフスキー 1917『手法としての芸術』)

もしもある「表現」が何の形式も持たないものであれば、その表現は直ちに陳腐化し、擦り切れ、自動化の餌食となり、無意識のうちにただ再認されるだけの対象へと堕ちてしまうだろう。空は、月や太陽は、日常会話は、我々の感情は、戦争は、かつて鋭さを伴った「表現」であった。しかし、我々が生活を送るなかで、それらの対象への認識や思考は節約され、行為は習慣化し、「無意識的で自動的なものの領域」へと退行してしまった。

『たとえば、「月」(месяц)、この語の原義は「計測器」(меритель)であった。「悲哀」(горе)、「悲しみ」(печаль)の原義は、「じりじり燃えて(жжет)、ひりひり焼ける痛み(парит)」。』(シクロフスキー 1914『言葉の復活』)

〈多数の人々の複雑な生活が無意識のうちに過ぎるのであれば、その生活は存在しないも同然だ。〉

従って、芸術に必要なのは、自動化されてしまった知覚を再び異化させるための形式である。そして、この異化のための形式は、(自動化を遅らせるため半ば必然的に、)分かりやすさ、平易さを追求したものであってはならない。異化のために求められるのは、内容の知覚を困難にし、認識の過程をより長引かせる、「難渋化された形式」の手法である。

『芸術においては知覚のプロセスが目的であり、ゆえに、このプロセスを長引かせなければならない』(シクロフスキー 1917『手法としての芸術』)

これらのことから、芸術においては内容よりも先にその形式が問われなければならないことが言える。このことは特に、音楽においてより顕著であろう。
しかしこれらの事実にも関わらず、現代のポピュラー音楽では、形式を軽んじ、内容と内容へのアプローチの手軽さだけを重視する傾向がますます加速している。今やポピュラー音楽は、単なるムードのためのBGMへと堕ちてしまった。そこでは、和音や旋律、リズム、その他楽曲を構成する要素全てが、過去の楽曲の焼き回しとして「再認」される。我々がそれらを「直視」することはない。

ただ平易に、恋を恋として、希死念慮希死念慮として、切なさを切なさとして表現することに、いったい何の価値があるだろうか?我々は、それら内容の知覚をむしろ困難にし、認識の過程を冗長化する形式を使いこなせなければならない。それらの「難渋化された形式」の手法をもって、音楽それ自体の「自律性」を追求しなければならない。我々は困難と複雑さをモットーとする。

有機体のしなやかさをもって我々の情緒やムードに寄り添う音楽が、強い魅力を持つことも事実ではある。しかし、彼らはそのしなやかさゆえに、死を運命付けられている。数百年前のポピュラー音楽を聴いて感動できる人間が、現代にどれだけ残っていようか?
無機的な構造美を持った音楽だけが時の試練を耐えるのだ。

 

『我々は知らねばならない。我々は知るであろう。』(ダフィット・ヒルベルト 1930『ケーニヒスベルグ大学での講演より』)

音楽の大海は、全くの未知のままで、我々の眼前に開かれている。我々はまだ、浜辺で少しばかり綺麗な貝殻を集めて喜んでいた子供にすぎないのだ。
Caritasaは、従来のポピュラー音楽の楽式と調性(和音および旋律)を大幅に拡張した、強力な方法論を提示する。
これらの方法論が、大海への挑戦の嚆矢となり、未来の音楽への羅針盤となることを願う。

 

2017.12.20 完全なQ体

 

 

2018年もCaritasaをよろしくお願いします。

 

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