Eclipse

随想録

20170309 無題

起床失敗。夢は忘れた。
 
先輩の卒業式に遅刻。どうせカウントされていないだろうし、どうでもいいっちゃどうでもいい。卒業式は簡易で短かったので、耐え難いという程ではなかった。来年は自分があそこに立っているのだろうかとか考えてみる。実感が湧かない。自分が来年、来月、来週、明日、何をやって過ごしているのか、そういうことを考えたことがない。ご飯が確定していたら嬉しい。ご飯確定ガチャという言葉が頭をよぎる。よぎるままに任せておく。
 
帰りにTSUTAYAに寄って、友人に勧められるままに映画を借りた。ファンタスティックプラネット?確かそんなんだった。それから、小林銅蟲のめしにしましょうと小笠原鳥類の詩集を買った。小笠原鳥類詩集がTSUTAYAにあるとは思っていなかったので嬉しい。
夕飯は何を食べたっけ?思い出せない。食べたことは確定しているから良しとする。たぶんおいしかったと思う。

20170308 無題

9時頃に起きる。夢は忘れた。午前中に雪が舞う。
お昼にパン屋さんに行ってピザを食べた。うわの空。おいしかったと思う。
1月に逆戻りしたような雰囲気。風が冷たいと日光も弱く感じるから不思議だ。

20170307 無題

起床失敗。世界の解像度が低い感じ。花粉症の薬のせいかもしれない。
 
ぼーっとした頭のまま11時ごろ学校へ。掃除のおばさんから「修了制作のプレゼン後ろから見てたけど、あんたが一番上手かったよぉ〜」とか言われた。嬉しい。
 
お昼はずっと気になっていたカレー屋さんに行った。本格的なインドカレー。ハラル対応メニューやベジタリアン用のメニューもあった。隣の席ではユダヤ人と宗教学者(と思わしき二人)が、シオニストがどうこう、中東の情勢がどうこうとか話し込んでいた。ユダヤ人のおじさんのエスニックな服装がお店の雰囲気に馴染んでいて、お客さんというよりはお店の備品みたいだった。
 
午後から作業。提出期限が18時の平面構成を仕上げていく。終わるか終わらないか、ギリギリのライン。ギリギリは気持ちいい。胸がドキドキして、強烈に集中できる。塗りたての用紙を18時ピッタリに提出して帰宅。良い一日だったと思う。

20170225 無題

世俗的な忙しさに感性が殺されていく。それを悪いことだと思えない自分がいる。むしろ殺されたいのかもしれない。
 
人はいつか死ぬのではなく、いつでも、常に死に続けているものだと思う。軽犯罪しかしなかった小学生の頃の自分、アニメから飛び出してきた破天荒キャラみたいだった中学生の頃の自分、ちょっとズレてる理系キャラを全面に押し出していた高校生の頃の自分、人を社会をひたすら憎み続けた大学生の頃の自分。全員死んだ。今の僕はどこまで生きられるだろうか。適者生存。
 
虚無を見つめ続けるだけの静かな季節が終わり、多忙と喧騒の季節へ。爆音で鳴り続ける音楽のさなかで、不意に訪れる針飛びの無音を逃さぬよう耳を澄ましていなければならない。いつまでそれができるのか。分からない。確かなことは、この音楽がいつか終わるということだけだ。

20160826~20161031 31音

 
やさしい日 真夏の空気ゆらめいて 線路ゆくきみあと追うわたし
 
 
初風に吹かれ転がる熊蝉の死骸の軽さにこころざわつく
 
 
繁忙に去りゆく者のつけた傷もすぐ癒えて 寂しさ一抹
 
 
新月の夜の帳に包まれて 夢見る子らの上下する胸
 
 
しゃあしゃあと止まぬ耳鳴り蝉時雨 癲狂院の夏は終わらず
 
 
黄昏の病気みたいな色の空に問診表を掲げて問う
 
 
人の死は目にはさやかに見えねども 空の部屋にぞおどろかされぬる
 
 
ただ一人あなたに認めてほしかった、さよなら。と一文のみの遺書
 
 

20160812 桃太郎以前

むかしむかし、あるところに山と川がありました。まいにち、山は川に洗濯に、川は山にしば刈りに行きました。ある日、山が川で洗濯をしていると、川上から、大きな無が一つ、ドンブラコ、ドンブラコ、と流れてきました。
「おやおや、これはみごとな無だこと。どれどれ、川へのおみやげに持って帰りましょう。」
山はそう言いながら、無を取ろうとしましたが、少しとおくてとどきません。そこで山は、
「void Start( ) { transfrom.position += new Vector3(1.0f ,2.4f ,0.1f ); }」
と歌いながら手をたたきました。すると無はまた、ドンブラコ、ドンブラコ、と言うと、山の前にスッと移動しました。山は無をつかまえると、
「はやく川と二人で分けて食べましょう。」
と言いながら、ニコニコと春になりました。山は無を洗濯物といっしょにたらいに入れて、だいじにだいじにかかえて持ち帰りました。川は夕方になって、山からしばをせおって降りてきました。
「山、ただいま。」
「川、おかえりなさい。待っていましたよ。今日はいいものがありますよ。」
「なんだい、そのいいものとは。」
「これをごらんなさい」
山はそう言いながら、虚空を指さしました。
「これはみごとな無だ、はやく二つに分けて食べよう。」
川はそう言って、無を二つに切ろうとしましたが、むなしく空を切るだけでした。
それからは沈黙がありました。
 
 
山も川も、自分たちの物語に不足があること、そして、自分たちの物語がどこにも進めないことに気づいていました。
しあわせな結末、かなしい結末、びっくりする結末、こわい結末。山と川は、自分たちの物語に不足がなければ、どんな結末をむかえたのだろう、と想像しました。そして、足りないもののために、しずかに涙を流すのでした。
それからまた沈黙がありました。とほうもなく、じゅうぶんに長い沈黙でした。おもむろに無が割れて、力づよい産声とともに、中から小さくてかわいらしい有がとび出しました。
「これは、これは。」
山も川もたいそうおどろいて、こえを出しました。
「わたしたちが、どうにかして有るものがほしい、ほしいと思っていたから、神さまがこの有をさずけて下さった。」
 
山と川は、すべての可能な物語を包括するように、という祈りをこめて、無から生まれたこの有に宇宙(ユニバース)と名前をつけました。

20160826 無題

桜の葉がぽろぽろと落ちていくことや、すこしずつ日が短くなっていくことが無性に悲しい。冬が近づくと理由もなく精神が溶けてしまうからいやだ。
 
友人の恋人の顔の良さについて質問されて、適切な解答が浮かんでこなくて困った。私は社交のときに人の顔をほとんど見ていないらしく、そのせいで人間の顔と名前が一致しない。顔を禁止してほしい。
 
顔の話に限らず、コミュニケーションをするとき、相手の言葉に対する返答の集まりが空で終わってしまうことがよくある。文脈や物語を履修する必要性をひしひしと感じる。会話を成立させるには、相手が想定している返答の集まりと自分が所持している返答の集まりの交わりから返答を選択しなければならないが、それがうまくいかないことが多い。